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シルクロードの宝石~ウズベキスタン~ラスト

2019.11.13

朝食後、今日は帰国の日です。

移動は、ヒヴァからバスで約1時間のウルゲンチ空港から国内線で首都タシケントへ。

1時間20分ほどでタシケントに到着。

ヒヴァと比べてやはり首都。ビルもたくさん建っていて都会です。

到着してすぐに向かったのは、日本人抑留者墓地です。

太平洋戦争の終戦直後に、満洲や樺太に駐留していた日本兵約57.5万人

武装を解除して投降した後、捕虜としてのソビエト連邦内各地に連行され、

過酷な労働を強いられたそうです。ウズベキスタンにも約2万3千名の

日本軍捕虜が移送され、同国の各地で建設事業に従事する長期的な抑留生活を送り、

日ソ間の国交が回復(日ソ共同宣言)され、帰国する1956年までの間に884名(2010年1月現在)

亡くなったそうです。

この日本人墓地は、タシケント地区及びウズベキスタン各地で亡くなった抑留日本人共同墓地になっています。

※wiki様より情報お借りしました。

 

当時、墓地を守ってくださっていた方の遺言で、今もその方のお孫さんが墓守として

掃除などをしてお墓を守ってくださっています。

色々な事情があって、お名前も産まれた場所もわかるのに

ご遺体を日本へ戻すことは出来ないようなのですが、

今でも遺族の方や親族の方がお参りにいらっしゃることがあるそうです。

ウズベキスタンの人の優しさが、何よりあったかいですね。

 

 

 

お参りをしたあとは、遅めのランチ。

 

スープにビーフストロガノフ、ピラフをいただきます。

ラストスパート!そろそろ日本の出汁が飲みたい、みそ汁が食べたい、白いご飯プリーズです。

 

 

ランチのあとは、ウズベク工芸博物館や

 

 

 

 

たくさんのヴィンテージ品が並んでいます。

伝統刺繍品や食器類、工芸品、絵画などどれも色鮮やかなで繊細な模様のものばかり。

 

 

そして、ナヴォイ劇場、ムシタキーリク広場を見学、散策。

 

 

 

ナヴォイ劇場は、第二次世界大戦のソ連の捕虜となった日本人が

建設に携わったことで有名な劇場です。

1966年4月26日、タシケントでは大きな地震が起こり、

78,000棟の建物が倒壊する事態になりましたが

このナヴォイ劇場は無傷で市民たちの避難場所としても機能していたそうです。

ウズベキスタン大統領は、建設に関わった日本人をたたえるプレートを

劇場に設置するように指示した際に、

 

「彼らは恩人である、間違っても捕虜と書いてはならない」 と、言ったそうです。

このプレートには

「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、この

アリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」

と記されています。

 

 

 

 

ナヴォイ劇場を後にし、早めの夕食。

ランチが14時頃、夕食は、18時前くらい。

どう考えても早すぎる、全くお腹がすいてない。

 

とはいえ、出てきたものは食べてしまう人間の欲。笑

おいしくいただきました。

 

 

いよいよウズベキスタンともお別れです。

タシケント空港に到着し、出国の時間です。

ウズベキスタンは、想像とは全く違う国でした。

まだまだ行っていない街もたくさんありますし、もう一度じっくり見てみたい

遺跡や建物だらけで、また来たいなぁと思ってしまいました。

 

そしてなんといっても、物価が安くてそして雑貨もカワイイ♪♪

今度は、フリープランでお買い物三昧でもいいかもしれません♪♪♪

 

 

 

 

 

 

 

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